Season has been changing...
季節が変わろうとしている。
季節の変化などの時の流れまで表現できたらな。
なんか訪れる時間で背景色変えるとか、そういう安っぽいのじゃなくて、ひさしぶりに見たら、あぁ、大きくなったね、とか、歳とったね、みたいなそういう時間の流れがいい。それのもっと小さい単位が季節の変化で。成長とか何かの課程じゃなくて。
季節が変わろうとしている。
季節の変化などの時の流れまで表現できたらな。
なんか訪れる時間で背景色変えるとか、そういう安っぽいのじゃなくて、ひさしぶりに見たら、あぁ、大きくなったね、とか、歳とったね、みたいなそういう時間の流れがいい。それのもっと小さい単位が季節の変化で。成長とか何かの課程じゃなくて。
モニターに映る世界はリアルな視覚体験で、モノはリアルな実体験である。
ただ見るだけより、やっぱり直接触ったりしたほうが実感として残るよねってこと。
なにか作品を見るにしても、モニタとかテレビとかじゃなくて実際に体験したいなってこと。
デジタルは時間をおけばよいものができるものではないだろうけど、時間とともになにか変化して、よくなるものもあるのかな。もちろんそれはアップデートとかそういうのじゃなくて、もっと自然なことで。
一度なくなったものが復活するような力強さ、危うさには強くひきつけられるものがある。
あり続けることより、なくなることのほうがきっと楽なはず。ある状態をキープするのって大変なエネルギーを使う。
一度なくなって、つまり力がなくなったのに、また復活するってことは相当なエネルギーがそこには働いていて、同時にまだまだ伸びようとするプラスの力と、(もう分かっていた)限界が見えてしまったっていうマイナスの力が働く。
そのままあり続けるってのが一番大変で難しいってことかな。
色には力がある。人の心を動かす力がある。色が変わるだけで、印象はまったく別のものとなり、人の心は動きだす。あるいは、その逆となる。なにかイメージを伝えようとするときとか、まず最初に色が思いついたりする。「赤」っていったら誰?みたいな心理ゲームとか。
第一印象は色だから、配色を決めるときはかなり気を遣った方がよい。しかも、その配色にはちゃんと理由もあるはず。
一枚の絵は、人間の五感にどこまで訴えることができるのか。
視覚はもちろん伝えることができる。味覚は確実に無理である。触覚は疑似体験としてはなんとかいけるかも。聴覚は、実際に音を出さなくても感じさせるようにしたい。嗅覚はかなり厳しい。
逆に、「見えている」ってことを伝えるのは視覚を伝えることになるだろうけど、それは難しいかも。
Boosty's ASCII Artistとかいうのとか、flashciiとか。
ascii artは下手するとものすごくちゃちぃものになりがちな危険をはらんでるけど、いつか手を出したいものではある。
自分メモ。
実際に音が鳴っていなくても、音が感じられるようなデザインをしたい。
その際、その音の種類に関しては特定のものでなくても構わない。受け手の感性によるものとする。
音が感じられるようなデザインをしようと思ったのは、デザインをはじめたとき。危うく忘れかけていた。
Helvetica vs. Arial
もうだいぶ前のものらしいけど、今日初めて見た。こういうの大好き。デザイン、仕掛け、遊び心はもちろんのこと、歴史的背景も考慮した、ちょっと皮肉っぽい内容も素晴らしい。
思わず時間を忘れます。
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